公人にプライバシーは無いのか
週刊文春に掲載された政治家・田中真紀子氏の長女の記事に関するWeb上の文章を沢山読んだ。
そこで気になったのが、「公人であれば、ある程度プライバシーは制限される」あるいは「公人であればこのような報道をされても仕方が無い」といったような意見があることである。
予備知識の無い状態では、「(巷で言うところの)公人であっても、なんでも報道してよいってのはどうか」と単に思っていただけだったが、いざBlogのネタにしようとしたら、「公人ならプライバシーは無い」という人は何を根拠(よりどころ)にそんなことを言っているのかというのが気になったので調べてみた。
(力及ばず(?))ただ一つたどり着いたのが、新聞労連ホームページのこちらのページである。
こちらには、
「公人」という概念は法律に規定されたものではなく、その定義や使われ方には幅がある。報道の関連では、主に名誉毀損の免責規定(刑法230条の2)の解釈に絡んでプライバシーがある程度制限されるような人物の範囲や顕名で報道する対象の範囲を論議する際などに用いられてきた。一般になじみのある使い方としては、靖国神社を参拝する閣僚の「立場」を問う際の「公人」と「私人」の区別がある。逆に言うと、「公人」の代表格とされる閣僚にも「私人」の部分があるわけで、「公人」の概念・定義では、どの範囲の人物が「公人」になるかと同時に、その人物のどのような活動・発言が「公人」と見做されるかを考える必要がある。
とあり、さらに、
*公人の範囲は
政治家………………
(省略)
*上記の者が、公共の利害、公益に関わる活動・発言をした場合は、国民の知る権利の対象として報道できる公人と見なす。
とある。
これによると、先に「公人」ありきでは無く、あくまで、「公共の利害、公益に関わる活動・発言をした場合」に公人とみなすことになる。
どうもこの解釈で言うところの「公人」になる可能性のある人-政治家など-がいつ何時でも「公人」である、とみなされ、いつ何時でも「国民の知る権利の対象」と拡大解釈する人が増えて行ったのではないかと考える。
もちろん、引用した文書自体も最初に、「定義には幅がある」としているので、ひょっとすると「拡大解釈という話をすること」自体がナンセンスかもしれないが、「公人ならどう、私人ならどう」という論を展開する向きには、少し意識してもらいたいと思う。
blog以外に読んだ記事の一部を参考まで
・大阪市立大学インターネット講座/講座内容
・日系BP SmallBiz/ずれている「週刊文春・出版差し止め問題」の議論の軸!
・2ch ニュース議論板/逆効果! 週刊文春、都内で品切れ続出【バカ売れ】
これは!と思ったコメント
・上記Smallbiz記事へのコメント
私が思ったのは、あのような記事が問題になること自体、一般消費者として自分達の恥であるということだ。
なぜならば、かの週刊誌にしても、売れないならばあんな記事は掲載しないはずであり、掲載したということは、消費者に受け入れられると思ったからだろう。現実に、その週刊誌は飛ぶように売れたわけだし。良識のある消費者であるならば、たとえ毎週読んでいた読者であろうとも「買わない」という無言の主張をすべきである。
・上記2chスレッドのコメント
公共性、公益性の無いと認められた「記事」に
対して、一部の「物書き」と称される人たちがちょうちん記事を
書いてしまったのは「アホですね」と言いたい。
おまけ:今回のあおりを食った記事(一部除く)は、文芸春秋サイトのこちらで公開されています。
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